2010年2月24日

武家の公卿

平安時代末期には平氏政権の確立により、平清盛が太政大臣になるなど武家にも公卿になる道が開かれた。鎌倉時代では源頼朝は権大納言、源実朝は右大臣にのぼり、以降は征夷大将軍が公卿の身分を持つ伝統が生まれた。

足利将軍家もこの例に習い、代々公卿の位に登った。特に足利義満は太政大臣にまでなっている。また、斯波義重や畠山持国といった管領や足利氏の有力一門に従三位が授けられることもあった。

戦国時代には各地の武家に対して官位の濫授が行われ、従三位以上の位を受ける者も増加した。中でも大内義隆は従二位まで登った。しかし公卿の官職はめったには許されなかった。また東百官のように官位を自称することが頻繁に見られた時代であるが、公卿の官職を自称したのは公家が武士化した家の名跡を継いだ姉小路良頼、姉小路頼綱父子、斎藤利親など数少ない。一方で、公卿の身分を持った公家である土佐一条氏、北畠氏等が戦国大名化している。

織田信長が中央政権を掌握すると、大納言、右大臣といった公卿の地位を占めた。しかし家臣や一門の官位を引き上げることはせず、織田政権で公卿となったのは、信長のほかは嫡子信忠のみであった。

豊臣秀吉は諸大名統制の手段として、官位の秩序を利用した。自らが公卿の最高位である関白太政大臣の地位を占め、諸大名に大納言や中納言といった公卿の地位を与えた。そのため公家の公卿就任者が激減し、秀吉没後には内大臣徳川家康が最高位者となるという異常事態が起る。

関ヶ原の戦いで徳川家康が覇権を握ると、家康は公卿制度の再構築を行う。公家と武家の官位を分離し、武家官位は柳営補任に掲載されるようになった。将軍以外の官位は抑制され、江戸時代中期以降、公卿に相当する地位に昇れた武家は徳川将軍家一門でも御三家や御三卿等わずかであり、その他の大名では前田氏に限られた。

公卿の消滅
慶応3年12月9日(1868年1月3日)、王政復古の大号令により千年以上続いてきた官位制度が改革された。慶応4年閏4月21日(1868年6月11日)には政体書が発表され、太政官制度がスタートした。太政官には太政大臣、左大臣、右大臣、参議が存在したが、彼らはもはや公卿と呼ばれることはなく、公卿補任への掲載も行われなかった。明治18年(1885年)12月22日には内閣制度がスタートし、太政大臣、左右大臣、参議が廃止された。その後も位階制度は残り、内大臣も形を変えて存在したが、公卿の名が用いられることは無くなった。かつての公卿達の子孫は華族となり、新たな身分を形成していった。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

武家の公卿はこのようにだんだんと消滅していったのですね。

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2009年6月 2日

隅田川 のルーツ

「隅田川」と呼ばれている川は、元々は入間川の下流部であり、1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年-1643年)までは下総国と武蔵国の国境であった。1629年(寛永6年)の荒川瀬替えにより荒川の本流となったが、洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設され、こちらが現在「荒川」と呼ばれている。1965年3月24日に出された政令によって荒川放水路が荒川の本流となり、分岐点である岩淵水門より下流は俗称であった「隅田川」に改称された。

古くは835年(承和2年)の太政官符に「住田河」として記されており、「宮戸川」などとも呼称されていた。

江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)とも呼ばれていた。今でも古典落語などでは「大川」が出てくる。また、大川右岸、特に吾妻橋周辺から新大橋周辺までを大川端(おおかわばた)と称する。

古隅田川
元荒川沿いの埼玉県さいたま市岩槻区南平野からゆるやかに蛇行しつつ春日部市梅田で古利根川に合流する河川と、東京都足立区中川付近で中川から分かれ葛飾区小菅で綾瀬川に合流する河川(現在は多くの区間が暗渠化されている)が古隅田川(ふるすみだがわ)と呼ばれている。東京都の古隅田川は足立区と葛飾区の境界となっており、古くは現在の「隅田川」区間とともに武蔵国と下総国の境界の一部を構成していた。埼玉県の古隅田川も併せて考えると、「隅田川」とは、古くは現在よりも長い区間にわたって荒川を合わせた後の利根川、あるいはその分流の下流部を指す呼称であったらしい。

橋梁
江戸期において防備上の視点から架橋が制限されたこともあり、明治期ごろまでは多くの渡しによって両岸が結ばれていたが、交通量の増加に伴い次第に木橋などで架橋が進んだ。後の関東大震災でその多くが被害を受けたために鉄橋に架け替えられ、また自動車時代の幕開けと供により多くの橋の建設が行われた。

それぞれが特徴のあるデザインとなっている。近年では災害対策連絡橋を主とした橋や遊歩道的な歩行者専用橋なども架けられ、よりバリエーションが豊かになっている。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

意外と大きくてびっくりしました。

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